黒本谷古墳とは? わかりやすく解説

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黒本谷古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 03:01 UTC 版)

黒本谷古墳
出土品(智頭町指定文化財)
(智頭町埋蔵文化財センター展示)
所在地 鳥取県八頭郡智頭町智頭(字黒本谷)
位置 北緯35度15分54.60秒 東経134度14分30.95秒 / 北緯35.2651667度 東経134.2419306度 / 35.2651667; 134.2419306座標: 北緯35度15分54.60秒 東経134度14分30.95秒 / 北緯35.2651667度 東経134.2419306度 / 35.2651667; 134.2419306
形状 円墳
規模 直径10m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 銅鋺・圭頭大刀・玉・馬具・須恵器
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 なし
有形文化財 出土品(智頭町指定文化財)
地図
黒本谷古墳
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黒本谷古墳(くろもとだにこふん)は、鳥取県八頭郡智頭町智頭にあった古墳。形状は円墳。出土品は智頭町指定有形民俗文化財に指定されている。

概要

鳥取県南東部、智頭盆地東部の標高約300メートルの丘陵先端部に築造された小円墳である。1979年昭和54年)に道路工事の際に発見され、現在ではほぼ消滅している[1]

墳丘は詳らかでないが、直径10メートル程度の円形と推定される[1]。埋葬施設は片袖式と推定される小型の横穴式石室で、南東方向に開口した[1]。石室のうち玄室は、長さ2.4メートル・幅1.3メートルを測る[1]。石室内の副葬品としては、銅鋺・圭頭大刀をはじめとして、玉・馬具・須恵器などが出土している。特に銅鋺は、丸底・無蓋で、口径22センチメートル・器高5.75センチメートルを測り、鳥取県では谷奥古墳(鳥取市気高町)・上淀廃寺跡淀江町)に次ぐ例として注目される[1]。また圭頭大刀は、木心金銅覆輪造で、圭頭・刀身・鞘・鞘尻金具を遺存する[1]

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[2]。小規模古墳ながら、当時先進的な仏教文化の山陰地方への伝達経路・時期を考察するうえで重要視される古墳になる[1]

出土品は1988年(昭和63年)に智頭町指定有形民俗文化財に指定されている。

文化財

智頭町指定文化財

  • 有形民俗文化財
    • 黒本谷古墳出土品 - 1988年(昭和63年)1月27日指定[3]

関連施設

  • 智頭町埋蔵文化財センター 智頭町歴史資料館(智頭町埴師、旧智頭町立土師小学校内) - 黒本谷古墳の出土品を保管・展示。

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『中河原古墳・黒本谷古墳発掘調査報告書(智頭町埋蔵文化財調査報告書1)』智頭町教育委員会、1983年。 



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