鹿野氏と山名氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 06:14 UTC 版)
一説に鹿野氏の本姓は源氏で山名氏の一族であるという。『半陶文集』によれば文明13年(1481年)頃、鹿野一帯には山名氏清系統の一族の所領が存在しており、その一族の山名教孝が『山名系図』(但馬村岡池田本)に「鹿野遠江守」と記されていることから指摘されている。ただ、先に述べた明徳年間の鹿野氏が山名一族であったかは今のところ不明である。(山名氏が国人一族の家督を継ぐケースとしては伯耆国の行松氏の例が挙げられる) また、教孝の妻は垣屋氏女で「徳源」と号したという。現在、同じ気多郡内の日置郷には垣屋一族の所領が存在していたことが確認されており、鹿野氏と垣屋氏との関係も今後の研究が期待される。
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