鹿屋の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 09:29 UTC 版)
鹿児島県鹿屋市には、正史には見られない伝承が残る。それによれば、陽侯麻呂が最期を迎えたのは鹿屋市永野田町付近であったという。 大隅国の国府は国分市にあったと考えられているので、陽侯麻呂は地方巡検で現地逗留中に襲撃を受けたことになる。鹿屋にはかつて国司山(国司城)という遺跡があり、おそらくそこが官衙の跡であったと思われる。 国司山を馬で脱出した陽侯麻呂は、大姶良町横山まで駆け抜け、名貫川を跳び越えたものの、ついに追い詰められて山上で自害を図った。しかしすぐには死に切れず、水を求めて泉のほとりまで下りてから絶命した。その場所が国司塚であると伝えられる。 国司塚一帯を管理していたのは永田良吉の先祖であり、以来永田家では千年以上にわたって旧暦1月14日夜になると「国司どんのお通夜」と呼ばれる祭りを国司塚跡にてひっそりと執り行っている。
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