魘魅(えんみ)の法をもって蛙(かわづ)をころす事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
「安倍晴明物語」の記事における「魘魅(えんみ)の法をもって蛙(かわづ)をころす事」の解説
(『宇治拾遺物語』巻十一「晴明を心みる僧の事付晴明蛙を殺す事」が元になっている) あるとき、晴明が広沢僧正の御坊を訪れて話をしていると、若い僧たちが晴明に対して「式神を使うなら、たちどころに人を殺すこともできるのか」と問うた。晴明は答えて曰く、「刀でならともかく、どうして簡単に殺すことができるでしょう。小さい虫でさえ命を惜しむのは人と変わりません。罪もないのに殺せば、生き返らせるのが難しい。打ち捨てれば罪になることですから、そのようなことは意味のない行為です」と。 たまたま蛙が5、6匹池の方へ躍り出たところで、こどもや僧たちが「あの蛙をひとつ殺してみせてくれ」と晴明に所望した。晴明は「罪作りで無用な殺生を仰せつけになる御房たちだ。しかしこの晴明を試そうというのなら、殺して差し上げよう」といい、草の葉を摘み、呪文を唱えつつその葉を蛙の方へ投げた。草の葉は蛙の上に覆い被さるかと見えたとたん、蛙は押し潰されて死んだ。僧侶もこどももこの有様を見て、顔色を失い、恐ろしいことだと思った。
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