高野橋 (都幾川)とは? わかりやすく解説

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高野橋 (都幾川)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 15:49 UTC 版)

高野橋(たかのはし)は埼玉県東松山市早俣と、同市下押垂の間を流れる都幾川に架かる東松山市道52号線[1]の道路である。

概要

名前が示す通り、都幾川で隔てられた市内の高坂地区野本地区を結ぶ橋である。都幾川の終点から1.8 kmの地点に架かる[2]橋長155.1メートル[3]、全幅員10.75メートル[1]、有効幅員9.75メートルの5径間単純鋼合成鈑桁橋である。歩道は上流側のみに設置されている。橋面は凸状に弓なりに反った緩やかな縦断曲線を描いている。 取付道路の斜路は左岸側は盛土、右岸側は橋長33.28メートル[3]、全幅員10.65メートル[1]、有効幅員9.75メートルの2径間のPCT桁高架橋(高野橋取付高架橋[3])を併用している。堤防天端の道路から橋へは、両岸側ともアクセス可能となっている。 公共交通機関(路線バス)の経路には使用されていない。 都幾川における国土交通省の水位の測定地点(野本水位観測所)のひとつである[4]

歴史

早俣の渡し(現早俣橋)と高坂の渡し(現東松山橋)との間に渡船場は設けられていなかったが、橋の場所のやや東側で都幾川の流路が北から西に向きが変わった位置に旧早俣河岸が天保年間頃より設けられていた[5]。その後旧早俣河岸はやや下流側に位置を変えた。旧早俣河岸には4件の問屋があった。早俣河岸は越辺川・都幾川筋で最上流に位置する河岸でもあった[5]

現在の橋が架けられるまでは押垂橋[6]と称される木造冠水橋が低水路に設けられていた。冠水橋が老朽化したことや、増水時は通行不能で不便であったため、永久橋への架け替えが行なわれ、1981年(昭和56年)度より永久橋の工事に着手した。事業主体は東松山市である。 橋は1987年(昭和62年)12月に竣工した[1][注釈 1]。なお、右岸側の取付高架(高野橋取付高架橋)は1986年(昭和61年)3月に竣工され、先行して1987年(昭和62年)に供用が開始されている[1]。総工費は8億2887万円であった[7]。工事の際、橋の用地に支障する冠水橋の取付道路の一部は廃道された。 橋の完成記念式(開通式)は1988年(昭和63年)2月22日に挙行され[7]、橋の供用を開始した。ただし開通当初は取付道路はまだ未完成のため[注釈 2]、その完成までは地域住民の生活道路として使用された[7]。橋より南側で、県道212号までの取り付け道路は1988年(昭和63年)度より残り300メートルの用地買収に着手され、65年度(平成2年度)の完成予定で工事が進められた[7]。橋より800メートル北側の県道345号までの道路は1990年(平成2年)度より用地買収に着手された[7]

冠水橋は永久橋の開通後に撤去されたが、取り付け道路は右岸側は民家の間を抜ける小路と共に存続され[6]、左岸側も堤防を斜めに横断しながら河川敷に降りる道路として残されている。

橋の修繕工事が近年では2016年(平成28年度)と2018年(平成30年)度に実施された[8]。2018年の方は、2018年(平成30年)12月5日から翌年2月28日にかけて工事が行なわれた[9]

周辺

両岸側とも堤防の近くに自然堤防があり[10]、そこに帯状の集落がある。そこから離れると後背湿地の水田地帯である。付近は水害の常襲地帯で2019年(令和元年)の台風19号による水害でも周囲は広範囲に浸水した[10]

隣の橋

(上流) - 東松山橋 - 新東松山橋 - 高野橋 - 早俣橋 - 長楽落合橋 - (下流)

脚注

注釈

  1. ^ 右岸側親柱に「昭和62年12月竣工」と刻まれている。Googleストリートビューで確認可能。
  2. ^ 橋前後の取付道路の斜路は当時の航空写真によると出来上がっているように見えるので、出典に記されている取付道路とは、橋を挟んだ南北に位置する県道までを結ぶアクセス道路の事と思われる。

出典

  1. ^ a b c d e 東松山市道路橋長寿命化修繕計画” (PDF). 東松山市. p. 4 (2018年11月). 2019年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  2. ^ 荒川上流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】”. 国土交通省関東地方整備局 荒川上流河川事務所. p. 108. 2022年7月7日閲覧。
  3. ^ a b c 『東松山市道路橋補修計画』 9頁。
  4. ^ 都幾川:野本水位観測所/東松山市下押垂 - 荒川上流河川事務所. 2022年7月7日閲覧。
  5. ^ a b 『歴史の道調査報告書第九集 入間川の水運』 26-27頁。
  6. ^ a b 残しておきたい昭和の記憶” (PDF). 東松山市. p. 13. 2022年7月7日閲覧。
  7. ^ a b c d e 昭和63年2月23日『埼玉新聞』 13頁。
  8. ^ 平成28年度建設工事、設計・調査・測量 発注見通しの公表”. 日本工業経済新聞社. 2022年7月7日閲覧。
  9. ^ 平成30年度工事成績評定結果”. 東松山市. 2022年7月7日閲覧。
  10. ^ a b 2019年台風19号における埼玉県都幾川の浸水被害調査(速報)”. 日本地理学会. 2022年7月7日閲覧。

参考文献

外部リンク

座標: 北緯36度0分28.99秒 東経139度25分7.28秒 / 北緯36.0080528度 東経139.4186889度 / 36.0080528; 139.4186889




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