高宗の皇后遙封を巡って
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 04:53 UTC 版)
『宋史』憲節皇后伝に記された、高宗の邢秉懿に対する「16年不娶」の愛の誓いは潤色が加えられている。高宗は帝位が動揺すると考えて父帝と兄帝の帰国は婉曲に拒んだが、邢秉懿に関しては積極的であったという。しかし『宋史』潘賢妃伝によると、高宗は側女の潘氏(元懿太子趙旉の母)を皇后に立てようとも考えた。また南宋では、高宗は逃走中に金軍の襲撃を受けた際のショックで性的不能になった、あるいはペドフィリアとの噂も立った。邢秉懿に対する夫婦愛の顕示は、それらに対するカムフラージュの可能性もある。 邢秉懿本人に関しては、以下の逸話がある。 曹勛が金から南宋へ逃亡した際、邢秉懿は耳輪の片方を託し、「耳輪のように夫婦相和すことを願います」と言づてした。
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