頭曼と冒頓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:42 UTC 版)
紀元前215年、匈奴は将軍の蒙恬率いる秦軍の攻撃を受け、河南の地(オルドス地方)から駆逐されると共に、秦は長城を修築して北方騎馬民族の侵入を防いだ。単于の頭曼は始皇帝および蒙恬の存命中に中原へ侵入できなかったものの、彼らの死(前210年)によって再び黄河を越えて河南の地を取り戻すことができた。ある時、頭曼は太子である冒頓を西の大国である月氏へ人質として送った。しかし、頭曼は冒頓がいるにもかかわらず月氏を攻撃し、冒頓を殺させようとした。冒頓は命からがら月氏から脱出して本国へ帰国すると、自分に忠実な者だけを集めて頭曼を殺害し、自ら単于の位についた。 単于となった冒頓は東の大国である東胡に早速侵攻してその王を殺し、西へ転じて月氏を敗走させ、南の楼煩、白羊河南王を併合した。さらに冒頓は楚漢戦争中の中原へも侵入し、瞬く間に大帝国を築いていった。
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