靭負神社
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靭負神社(ゆきえじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市にある神社。国道2号付近に建立されている[2]。江戸時代後期に大沢惟貞が記した『吉備温故秘録』によると崇神天皇社は眼病を患った人々が祈りに来て、快方に向かったと伝えられているとされ、元々は観応2年に足利尊氏が足利直冬討伐のために兵を率いていた際に、当社に祈ったことで治ったことから盛んになったとする説や、地元長船の刀鍛冶たちの信仰が広まったとする説が存在する[3]。
注釈
出典
- ^ 長船町史編纂委員会 1995, p. 621.
- ^ a b c d e f 大河原三恵「うちのモノ語り 367 靭負神社の拝殿(瀬戸内市長船町長船)眼病平癒 刀工も信仰」『山陽新聞』夕刊3面、2020年4月16日。
- ^ 長船町史編纂委員会 1995, pp. 657–658.
- ^ a b 長船町史編纂委員会 1995, p. 656.
- ^ a b c 長船町史編纂委員会 1995, p. 657.
- ^ 『靭負神社』岡山県神社庁、2016年。2020年10月4日のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月4日閲覧。
- ^ 「国宝の名刀が備前焼に」 『岡山 NEWS WEB』 NHK、2019年11月14日。 オリジナルの2019年11月15日時点によるアーカイブ 。2019年11月15日閲覧。
- ^ 「備前焼の『山鳥毛』奉納 瀬戸内・靭負神社=岡山」『読売新聞』読売新聞社、2020年9月13日、大阪朝刊、35面。
- ^ 三橋 1999, p. 394, 396.
- ^ 邑久郡史刊行会 1954, p. 200, 202.
- ^ 三橋 1999, p. 403.
- ^ 三橋 1999, p. 407, 408.
- ^ 三橋 1999, p. 417, 418.
- ^ 三橋 1999, p. 424.
- ^ 邑久郡史刊行会 1954, p. 198.
- ^ 邑久郡史刊行会 1954, p. 199.
- ^ 長船町史編纂委員会 1995, pp. 658–659.
- ^ a b 長船町史編纂委員会 1995, p. 659.
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