覇陵県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 23:52 UTC 版)
覇陵県(はりょう-けん)は、紀元前171年から紀元3世紀頃まで、中国の漢代にあった県の一つである。前漢の都長安の東[1]、現在の陝西省西安市灞橋区にあった。
- ^ a b 『三輔黄図』巻之六。陳直『三輔黄図校証』143頁。何清谷『三輔黄図校釈』366頁。
- ^ 『史記』漢興以来将相名臣年表、文帝9年。
- ^ a b 『漢書』地理志第8下。ちくま学芸文庫『漢書』3、277頁。、
- ^ 『史記』前掲箇所(名臣年表文帝9年)への司馬貞『史記索隠』注は、『漢書』地理志をよりどころにして芷陽県があったとする。『嘉慶重修一統志』も、秦代の芷陽県を記す(四部叢刊続編『大清一統志』 (14)、西安府表1頁)。陳力「漢の長安城周辺の集落」(11頁)は、文帝9年新設とする。
- ^ 『漢書』地理志第8下。ちくま学芸文庫『漢書』3、276頁。
- ^ 『漢書』王莽伝第69中、天鳳2年4月条。ちくま学芸文庫『漢書』391 - 392頁。『三輔黄図』巻之一、三輔治所。陳直『三輔黄図校証』5頁。何清谷『三輔黄図校釈』13頁。
- ^ 『後漢書』志第19、郡国1。
- ^ 『晋書』巻14・志4地理上、雍州京兆郡に覇城県があるが、改名の時期については記載がない。『嘉慶重修一統志』西安府表には、三国時代に覇陵県、晋代に覇城県に改称と記されている。
- 1 覇陵県とは
- 2 覇陵県の概要
- 霸陵県のページへのリンク