阿蘇惟種とは? わかりやすく解説

阿蘇惟種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 14:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
阿蘇惟種
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文9年(1540年
死没 天正12年8月13日1584年9月17日
墓所 熊本県山都町
氏族 阿蘇氏
父母 父:阿蘇惟豊
兄弟 入田親誠正室、惟将惟種
惟光、惟善
テンプレートを表示

阿蘇 惟種(あそ これたね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての肥後国戦国大名阿蘇氏阿蘇神社宮司)。

生涯

天文9年(1540年)、阿蘇惟豊の子として誕生。

天正11年(1583年)、兄・惟将が嗣子無くして没したため家督を継いだ。しかし翌天正12年(1584年)に没してしまい、その跡を僅か2歳の嫡男・惟光が継ぐ事となった。

幼年の惟光は梅北一揆扇動の罪を着せられたため豊臣秀吉に殺害され、惟光の死をきっかけに戦国大名としての阿蘇氏は滅亡していったが、惟光の弟・惟善が加藤清正に救われ大宮司職に復帰し阿蘇氏の血統を残した。

墓地

墓地は、昔は熊本県山都町にある浜の館の武家屋敷があったとされる平地の近くに存在している。丘陵部にあり、浜の館方面が開けてよく見えるという。地元では通称「おたっちょさん」という愛称で親しまれてきた。

3基の墓石があり、地元集落がボランティアで周囲をきれいに整備している。山都町畑の国道218号交差点近く(徒歩1分)にある。

砥用町大字早楠(現・美里町)にある早楠神社は、阿蘇惟村(阿蘇氏11代当主)を祀ってあり、こちらも「おたっちょさん」という愛称で親しまれている。砥用町史には、「御舘中様」の事ではないかという説が書かれている。

脚注

[脚注の使い方]

出典





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「阿蘇惟種」の関連用語

阿蘇惟種のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



阿蘇惟種のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの阿蘇惟種 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS