阿米都和気命について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/26 00:23 UTC 版)
『延喜式』(平安時代中期)所載の社名「阿米都(和)気命神社」に見えるように、元々の富賀神社は阿米都和気命を祀る神社とされる。しかし、祭神の阿米都和気命に関する詳細は明らかではなく次の諸説がある。 一説では、『三宅記』(鎌倉時代末期)で三嶋神が三宅島に置いた后として「天地今宮后」の神名が見えることから、これが「天地分宮后」の誤写であるとして阿米都和気命を意味するという説がある。 一方「天地今宮后」は伊古奈比咩命を指すとして、その子が「天地今宮」すなわち阿米都和気命であったため「天地今宮后」と名付けられたとする説もある。富賀神社では古来神事の際には「一大社、あめつち今宮、今后」と唱えるといい、これは三嶋神、阿米都和気命、伊古奈比咩命を指すという。ただし、『三宅記』の記す天地今宮后の子は「あんねい(飯王子)」「まんねい(酒王子)」の2王子であり、「あめつち今宮」の名は見えないことからこの説は疑問視もされている。 上記諸説はあるが、現在の富賀神社では阿米都和気命は伊古奈比咩命の子とされている。
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