関東宅磨派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:48 UTC 版)
為久が寿永3年(1184年)に鎌倉へ下向し《正観音像図絵》を描き帰洛、文治元年(1231年)8月に再度下向した。 宅磨為行が寛喜3年(1231年)10月に藤原頼経の命で御願寺の地相を描いた記録がある。 絵所澤間式部法橋長祐が貞和6年(1350年)に称名寺三千仏絵を描き定住している。 絵所詫磨浄宏が至徳3年(1386年に法光寺(現飯能市)に地蔵菩薩像を彩色している)(平田寛(1994, p.179)。
※この「関東宅磨派」の解説は、「宅磨派」の解説の一部です。
「関東宅磨派」を含む「宅磨派」の記事については、「宅磨派」の概要を参照ください。
- 関東宅磨派のページへのリンク