関東の連れ小便とは? わかりやすく解説

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関東の連れ小便

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/16 13:24 UTC 版)

関東の連れ小便(かんとうのつれしょうべん)は、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に、豊臣秀吉徳川家康に関東移封を告げた場面に由来するとされる逸話である。小田原城を見下ろす高台において、秀吉と家康が並んで小便をしながら会話したことが語源とされ、後世の軍記物逸話集に伝えられている [1][2]

概要

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は小田原征伐で後北条氏を降伏させた。このとき秀吉は、陣所の高台(笠懸山石垣山城)に家康を伴い、城下を望みながら並んで小便をし、家康に対して関八州の統治を頼んだ。 この逸話は後世の『関八州古戦録』(享保11年〔1726年〕成立)や『新撰太閤記』などに見え、いわゆる「連れション(連れ小便)」の語源としても紹介されることがある [3]

家康にとってこの申し出は寝耳に水であった。彼自身は後北条氏の滅亡後、隣接する伊豆一国の加増を予想していたとされ、実際に家臣へ伊豆支配の指示を出していた記録もある。しかし秀吉は、家康が5カ国(三河駿河遠江甲斐信濃)を安定的に支配していることを警戒し、あえて地縁の薄い関東八州への移封を命じたと解釈されている [4]

7月13日に正式決定が下され、家康は8月に江戸城へ入城した。当時の江戸は湿地が多く「水も草も悪い」と評される未開の地であったが、家康は移封を受け入れ、のちに江戸幕府成立の基盤を築くことになる。


この逸話は後世、慣用句としても転用された。『関八州古戦録』には「今の世までも東国の児女相謂て関東の連小便と申す事は此吉兆を伝へたり」と記されており、関東の人々は一人が小便をすると同行者もならって小便をするという気風に結びつけられた。のちには地域名を入れ替えて各地の気質を表す言葉としても用いられた。

参考文献

  • 『戦国武将名言録: 松下政経塾塾長講話録』(楠戸義昭 、PHP研究所、2006年、131p)
  • 『日本古戦場100選』(日本史蹟研究会、1970年、263p)
  • 『徳川家康大全』(小和田哲男、PHP研究所、2016年)

脚注

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