関市立下有知小学校とは? わかりやすく解説

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関市立下有知小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 14:27 UTC 版)

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関市立下有知小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 関市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 501-3217
岐阜県関市下有知1525-1
外部リンク 公式サイト
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関市立下有知小学校(せきしりつ しもうちしょうがっこう)とは、岐阜県関市にある公立小学校

関市下有知地区などが校区であり、下有知、東志摩、寺田1・2丁目、関ノ上1~3丁目、西境松町、水ノ輪町、のぞみケ丘などである[1]

校庭には卒業生が植えたという樹齢120年以上と推測される銀杏の大木があり、校歌にも歌われ、下有知小学校のマスコット「ぎんちゃん」のモデルでもある。1981年の体育館新築工事のさいに切り倒される予定であったが、現在地に移植された。老木ということもあり、1998年、2015年に樹木医による診断・手術が行われている。

沿革

  • 1873年(明治6年) - 修徳義校が開校。下有知村、松森村、生櫛村、志摩村の児童が登校。洞泉寺[注釈 1]を仮校舎とする。
  • 1878年(明治11年) - 志摩村に修徳義校中有知分教場を設置。
  • 1879年(明治12年) - 修徳小学校に改称する。
  • 1886年(明治19年) - 下有知尋常小学校に改称する。
  • 1890年(明治23年) - 中有知分教場が中有知村大字生櫛字向野に校舎を新築し、移転。
  • 1891年(明治24年)4月 - 中有知分教場が中有知尋常小学校として独立。
  • 1895年(明治28年) - 現在地に移転。
  • 1900年(明治33年) - 下有知尋常高等小学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 下有知国民学校に改称する。
  • 1944年(昭和19年) - 名古屋市八幡国民学校の児童が下有知国民学校へ学童疎開
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 下有知村立下有知小学校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)3月20日 - 下有知村が関市に編入される。同時に関市立下有知小学校に改称する。
  • 1956年(昭和31年)4月28日 - 美濃市と関市とで境界変更。美濃市志摩地区の一部(現・東志摩)が関市に編入される。下有知小学校の校区にこの地域が追加される。
  • 1980年(昭和55年) - 現在の校舎が完成。旧校門近くにあった銀杏の大木を現在地に移植。
  • 1981年(昭和56年) - 体育館が完成。

参考文献

  • 新修関市史 通史編 近世・近代・現代 (関市 1999年) P.815 - 816
  • 年表 市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年) P.18 - 42

注釈

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  1. ^ 現在の岐阜県関市下有知6321-1にある寺院。

脚注

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関連項目

脚注

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