間切や村の新設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:32 UTC 版)
羽地の摂政就任当時、沖縄本島の村数は322ヶ村であったが、羽地はこれを27間切322村に再編成した。 まず1666年に今帰仁(なきじん)間切から11村を分け、さらに7村を新設して本部(もとぶ)間切を設置、その後、越来(ごえく)間切から15村を分け、5村を新設して美里間切を設置した。1671年に宜野湾(ぎのわん)間切、1673年に恩納(おんな)間切、大宜味(おおぎみ)間切、小禄間切、久志間切、1676年に与那城間切、計8間切を新設した。こうして、旧来のものも合わせて35間切の体制が出来たのである。
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