長野県出仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/21 22:09 UTC 版)
卒業後、同郷の県少書記官鳥山重信の縁故で1881年(明治14年)11月22日長野県に出仕し、勧業課農務掛に配属された。1882年(明治15年)2月1日善光寺東公園の勧業場内陳列化学場で取締を担当し、砂糖国産化に向けた下高井郡江部村での製糖竈の指導や、松本監獄署、県下の製糸用水の水質分析に従事した。 1883年(明治16年)群馬県から長野県製蚕紙に硝酸が検出されたと報告があり、1884年(明治17年)2月1日小県郡長瀬村の製造元で調査を行った。
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