長者橋 (横浜市)とは? わかりやすく解説

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長者橋 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/21 05:24 UTC 版)

長者橋
下流側より。2015年4月。
基本情報
日本
所在地 神奈川県横浜市中区
交差物件 大岡川
建設 1928年
座標 北緯35度26分42.9秒 東経139度37分41秒 / 北緯35.445250度 東経139.62806度 / 35.445250; 139.62806
構造諸元
形式 コンクリート製アーチ橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長者橋(ちょうじゃばし)は、神奈川県横浜市中区大岡川に架かる、横浜駅根岸道路の道路橋である。中区長者町九丁目と日ノ出町一丁目とを結ぶ。

歴史

『横浜開港側面史』によると、横浜道開通以前の東海道から横浜港への往還は、野毛浦や神奈川宿から洲崎弁天まで船も出ていたが、陸路では芝生(現在の浅間町)から平沼、戸部を経て現在の長者橋の位置にあった粗末な橋を渡り、長者町の通り(当時は八丁縄手(はっちょうなわて)と呼ばれていた)を南下し車橋から中村川沿いに下るものであった。この「粗末な橋」は嘉永4年の資料では単に「土ハシ」と記されていたが、1873年(明治6年)1月25日に神奈川県令大江卓から大隈重信に宛てた文書の中では「権兵衛橋」と記されている。この文書は今まで古い土橋でしのいできたが、開港により外国人の馬車が増え使用に耐えなくなり、架け替えを上申するものであった。これを受け、1874年(明治7年)5月に新たな木製の橋が完成した。1870年(明治3年)に河野与七が八丁縄手に貸家を整備し、長者町と名がついたことから、その名をとり「長者橋」と名付けられた。

この橋は関東大震災で焼失し、国費を投じてコンクリート製アーチ橋に架け替えられた[1]。新たな橋は1927年(昭和2年)に着工し、総工費10万653円(当時の金額)を投じ、1928年(昭和3年)に竣工した[2]2022年(令和4年)3月には横浜市認定歴史的建造物に認定された[3]

周辺

上流側より。橋のたもとに船着き場が整備された。

京浜急行 日ノ出町駅に近く、同駅と伊勢佐木町方面を結ぶ道として交通量は多い。大岡川と平戸桜木道路に挟まれた一角は再開発により、高層マンションと商業施設からなる「日ノ出サクアス」が2015年3月に竣工した[4]。また、2015年5月に橋のたもとに横浜河川で初めての浮桟橋「横浜日ノ出桟橋」が竣工した。夜間には橋側面がライトアップされ[5]、春には川沿いで桜まつりが行なわれる[6]

脚注

参考文献

  • 小寺篤『よこはまの橋・人・風土』秋山書房、1983年10月8日、84-85頁。 



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