長者屋敷遺跡 (磐田市)とは? わかりやすく解説

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長者屋敷遺跡 (磐田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:38 UTC 版)

長者屋敷遺跡 南面概観
長者屋敷
遺跡
長者屋敷遺跡の位置

長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、静岡県磐田市寺谷にある奈良時代遺跡。静岡県指定史跡に指定されている。

概要

北西隅付近
右に土塁、左に濠、左端に内側区画。

静岡県西部、天竜川東岸の磐田原台地西縁付近に位置する。古くから長方形の土塁区画として存在が知られており、遺跡名は長者伝説から「長者屋敷」と呼称されたことに由来する。1969年昭和44年)・1977年(昭和52年)に発掘調査が実施されている[1]

土塁の規模は、東西約100メートル・南北約60メートルを測る[2][3]。土塁は盛土によって構築され、底幅約10メートル・上部幅約3メートル・高さ約3メートルを測る[3]。南面中央・北東隅の2ヶ所では土塁が途切れているため出入り口と想定されるほか、南西隅では古墳(長者屋敷1号墳、直径15メートルの円墳古墳時代後期)が墳丘ごと土塁に取り込まれている[3]。全体的に土塁の内側には濠が巡らされているが、特に南面のみは土塁の外側にも濠と土塁跡が認められており2重構造をなす[2][3]。土塁区画の内側には複数の建物跡が認められており、建物の全体規模が判明した1棟は南北16.5メートル・東西5.5メートル・柱間約2メートルという当時としては非常に大型の掘立柱建物になる[2][3]。出土土器のほとんどは古墳時代後期-奈良時代須恵器であるが、主には奈良時代の7世紀-8世紀代に営まれたと推定される[2][3]。ただしその性格には謎が多く、地方官衙跡または地方豪族の居館跡と推測されるが詳らかでない[2][3]

遺跡域は1979年(昭和54年)に静岡県指定史跡に指定されている[2]

遺跡歴

  • 1969年昭和44年)、寺谷浄水場の建設に伴う発掘調査[1]
  • 1977年(昭和52年)、発掘調査[1]
  • 1979年(昭和54年)11月19日、静岡県指定史跡に指定[2]

文化財

静岡県指定文化財

  • 史跡
    • 長者屋敷遺跡 - 1979年(昭和54年)11月19日指定[2]

脚注

参考文献

  • 史跡説明板(磐田市教育委員会文化財課、2009年設置)
  • 「磐田原台地西縁の遺跡」 (PDF) (磐田市教育委員会文化財課、2013年) - リンクは磐田市立図書館「いわたデジタルアーカイブ」。
  • 「長者屋敷遺跡」『磐田の文化財』磐田市教育委員会、2009年。 
  • 「長者屋敷遺跡」『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年。ISBN 4582490220 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度46分42.40秒 東経137度50分29.63秒 / 北緯34.7784444度 東経137.8415639度 / 34.7784444; 137.8415639 (長者屋敷遺跡)




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