長崎代官業務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)
長崎の内町・外町の周囲には、長崎代官支配の郷3か村と、その外側の天領7か村があった(総計約3000石)。これらの地は、初代長崎代官の村山等安と、等安が処刑された後に代官となった末次氏により延宝4年(1676年)まで支配された。末次氏の改易後、しばらく代官事務は町年寄が代行した。元文4年(1739年)に町年寄の高木作右衛門忠与が代官に任命され、以後幕末まで高木氏の代々世襲となった。 高木作右衛門家は、古くから長崎の町年寄を勤めており、御用物役でもあった。忠与が長崎代官に任命されて以降、高木家は幕臣となった。
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