長崎代官・末次家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/03 13:41 UTC 版)
近世初期、長崎の町は地子を免除された内町とそれ以外の外町に分かれていた。長崎代官は外町を支配しており、初代代官の村山等安が処刑された後、末次家が代官職を任され、末次平蔵政直・末次茂貞・末次茂房と世襲された。末次茂朝は4代目であり、先の3代と同様「末次平蔵」の名も世襲した。
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