針原地区とは? わかりやすく解説

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針原地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 09:53 UTC 版)

針原地区
はりわら
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
自治体 富山市
総人口
4,237
推定人口、2018年)
富山市役所針原地区センター
北緯36度43分55.28秒 東経137度16分17.63秒 / 北緯36.7320222度 東経137.2715639度 / 36.7320222; 137.2715639座標: 北緯36度43分55.28秒 東経137度16分17.63秒 / 北緯36.7320222度 東経137.2715639度 / 36.7320222; 137.2715639
所在地
富山県富山市針原中町
針原地区
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針原地区(はりわら)は、富山県富山市地区である。富山市街からやや遠いので、東富山駅周辺を除き、あまり宅地化されず水田が多い。

概要

地区の東端には常願寺川が存在する。

北側は大広田地区と浜黒崎地区と水橋西部地区、東側は三郷地区、南側は新庄北地区、西側は広田地区と豊田地区と隣接している。

地理

全域が富山低地(氾濫原)にあり、標高は5m程度と低平である。

歴史

地区の東端にある常願寺川は、日本有数の暴れ川で水害に悩まされてきた。特に鳶山崩れの時は各集落が甚大な損害を受けた。その後加賀藩の推奨により比較的標高が高く、水害の少ない常願寺川東岸(現立山町)に村人の何人かが移住開拓した。それらは移住前の村名と同じになっており、例えば針原地区の「宮成」という地名は立山町にも存在する。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い上新川郡針原中村、三上村、野中村、野中新村、宮成村、町袋村、宮条村、楠木村、下飯野村、高島村、道正村、小西村、宮村が合併し、針原村が発足。
  • 1940年昭和15年)9月1日 - 富山市に編入し針原地区となる。

レジャー

教育

医療

  • 富山済生会病院
  • アルペンリハビリテーション病院
  • 富山県リハビリセンター

商業施設

国道415号の整備により、下飯野に商業施設が増えてきている。

  • クスリのアオキ下飯野店
  • ピザキャリー富山北店

交通

鉄道

  • 地区内に鉄道駅はないが、針原地区西部は、東富山駅が近い(500m程度)。

バス

参考出典

  • 『富山県の地名』平凡社

脚注

関連項目




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