金尾の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/29 00:48 UTC 版)
寄居橋が開通する以前は「金尾の渡し」と呼ばれる私設の渡船場で対岸を結んでいた。この渡船場は「殿倉の渡し」とも呼ばれ、いつから設立していたかは定かではないが、秩父往還が通っていた頃より存在した古くからある渡船場であった。冬から春にかけての船の運航が困難となる減水期は長さ20間(約36.36メートル)、幅4尺(約1.21メートル)の土橋による仮橋を架設していた。渡船賃は地元住民は「人手米」と称した、年払いで米麦などの農作物を一定量納めた事で無料で利用できた。この渡船場は1947年(昭和22年)の寄居橋の完成により廃止され、1964年(昭和39年)の玉淀ダムの完成により渡船場跡は玉淀湖の底に水没している。
※この「金尾の渡し」の解説は、「寄居橋」の解説の一部です。
「金尾の渡し」を含む「寄居橋」の記事については、「寄居橋」の概要を参照ください。
- 金尾の渡しのページへのリンク