金子哲夫 (野球)とは? わかりやすく解説

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金子哲夫 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/19 07:15 UTC 版)

金子 哲夫
基本情報
国籍 日本
出身地 愛媛県
生年月日 (1941-09-03) 1941年9月3日(83歳)
身長
体重
166 cm
63 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1960年
初出場 1960年6月28日
最終出場 1960年6月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

金子 哲夫(かねこ てつお、1941年9月3日 - )は、愛媛県[1]出身の元プロ野球選手。元プロ野球選手の金子準一は実弟。

経歴

西条高校では1959年第41回全国高等学校野球選手権大会へ出場[1]。1回戦からエースピッチャーとして登板し、決勝戦まで勝ち進む。

決勝は宇都宮工業高校大井道夫との投げ合いとなった[2]。試合は当時の甲子園決勝の最長延長記録となる15回まで縺れたが、この回に打線が大井から6点を奪い、8-2で勝利し優勝投手となる[2]。この大会、金子は全5試合を一人で投げぬいた[2]

1960年大阪タイガースへ入団し、1年目から1軍のベンチ入りを果たすも、投手層が厚かったためにほとんど投げることができず、1軍では試合前のバッティング練習要員だった[2]

1961年にはウエスタン・リーグで勝率と防御率のタイトルを獲得したが、リリーフのみで先発としては使ってもらえなかった[2]

1963年を最後に現役引退[2]。引退後は造船関係の仕事や、今治市でスナックを営業していた[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1960 大阪 1 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 3 0.0 3 0 0 -- 0 0 0 0 2 2 ---- ----
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 3 0.0 3 0 0 -- 0 0 0 0 2 2 ---- ----

記録

背番号

  • 36 (1960年 - 1962年)
  • 13 (1963年)

脚注

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、156ページ
  2. ^ a b c d e f g 金子哲夫 西条1959年夏優勝 エース 投げ抜いた15回”. 愛媛新聞 (2018年7月2日). 2021年5月22日閲覧。

関連項目

外部リンク




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