都北学院高等学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 都北学院高等学校の意味・解説 

都北学院高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 23:11 UTC 版)

都北学院高等学校(とほくがくいんこうとうがっこう)[要出典]とは、かつて埼玉県浦和市にあった日本私立高等学校。設置者は学校法人都北学院。

概要

東京帝国大学医学部教授だった中野等(1879年 - 1955年)によって、浦和市領家1,500[1]に埼玉県では最初の私立旧制中学校として開校。1935年には浦和高等工科学校を併設し、学制改革を迎えた。

戦後は浦和商業短期大学を併設するなどしたものの、校長・学長を兼任していた中野[2]が死去したことから浦和市に移管。だがほとんど唐突な中での公立移管だったことから学生を中心に浦和市立高への統合要求が噴出し、1957年に市立高に統合された。公立移管時点の設置学科は、普通科と商業科[3]・生徒数は男子のみ184人[3]

沿革

  • 1931年
    • 中野等による私立恵仁中学校が設立される[4]
    • 7月 私立埼玉中学校と改称される[4]
  • 1948年4月 学制改革により埼玉高等学校[5]埼玉高等学校附属中学校となる。
  • 1951年頃に学校法人埼玉高等学校が成立する。
  • 1954年2月 学校法人埼玉高等学校が学校法人都北学院に改称される[6]。後に浦和第一高等学校と改称される。
  • 1955年 経営母体が学校法人から浦和市に移管され浦和市立都北高等学校となる。
  • 1957年4月 浦和市立高等学校に統合される。

関連項目

関連サイト

脚注

  1. ^ 現在のさいたま市浦和区領家あたり、浦和市移管後に跡地はさいたま市立本太中学校となり現在に至る。
  2. ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』1374頁より。
  3. ^ a b 同書1007頁より。
  4. ^ a b 『埼玉大百科事典 2』(埼玉新聞社 1974)p353「埼玉中学校」の項より。
  5. ^ 同書p460「年譜」より。
  6. ^ 同書p466「年譜」より。
  7. ^ 2013年4月18日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「都北学院高等学校」の関連用語

都北学院高等学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



都北学院高等学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの都北学院高等学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS