遼の陶磁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
五代から北宋の時代に北方に栄えた契丹族の国家・遼(916 - 1125年)においては、遼三彩と呼ばれる三彩陶、白磁、鉛釉陶(緑釉、褐釉)などが焼成された。遼の白磁器の中では、遊牧民が用いる皮袋の形を模した皮嚢壺(ひのうこ)と呼ばれる水注が特徴的である。なお、白磁については、遼の作品と定窯の作品を弁別することは困難である。定窯が所在する定州の地域は、10世紀半ばには遼に占領されており、遼は定窯の陶工を自国に連行して作陶させたと考えられている。また、北宋王朝から遼への貢物にも定窯白磁が含まれていた。
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