跡部昌忠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 跡部昌忠の意味・解説 

跡部昌忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/03 07:29 UTC 版)

 
跡部昌忠
時代 戦国時代江戸時代初期
生誕 天文13年(1544年
死没 慶長11年11月12日1606年12月11日
改名 九郎(幼名)→昌忠
官位 右衛門尉修理亮
主君 武田勝頼徳川家康
氏族 跡部氏
父母 父:跡部勝忠
幸次

跡部 昌忠(あとべ まさただ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将甲斐武田氏徳川氏の家臣。

略歴

天文13年(1544年)、跡部勝忠の長男として生まれる。武田勝頼に仕え、使番12人衆・近習番頭などを歴任した。武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、侍大将として同心24名を与えられた。本能寺の変織田信長が死去し、甲斐国徳川領になると桜井信忠、石原昌明、小田切茂富と共に徳川四奉行の1人としてその支配に携わり、寺社宛の禁制などに多く名を残している。

慶長11年(1606年)11月12日に死去。享年63。子孫は江戸幕府旗本として存続した。

なお、武田家中には同姓同名で修理亮を称した別人の跡部昌忠がいる。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「跡部昌忠」の関連用語

跡部昌忠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



跡部昌忠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの跡部昌忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS