趙昂と趙顒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 22:35 UTC 版)
建安24年(219年)の漢中争奪戦の最中、劉備軍の黄忠は法正の助力を得て、定軍山で曹操軍の夏侯淵と益州刺史の趙顒を討ち取った。この趙顒は趙昂と名こそ違うものの、彼らの身分は一致しており、同じ趙姓で活動した時代及び拠点とした地理状況が近い。また「顒」と「昂」の二字は意味と音が似ており、この二字自体で構成された単語がある。以上の共通点により、「趙顒」は「趙昂」である可能性が高い。
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