趙惟煕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/28 07:18 UTC 版)
| 趙惟熙 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 出生: | 不詳 |
| 死去: | 1917年(民国6年)12月30日 |
| 出身地: | |
| 職業: | 政治家 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 趙惟熙 |
| 簡体字: | 赵惟熙 |
| 拼音: | Zhào Wéixī |
| 注音二式: | Jàu Wéishī |
| 和名表記: | ちょう いき |
| 発音転記: | ジャオ ウェイシー |
| ラテン字: | Chao Wei-hsi |
趙 惟熙(ちょう いき)は清末民初の政治家。中華民国の初代甘粛都督。字は芝珊。
事跡
1889年(光緒15年)、己丑科進士。翰林院編修となり、陝西省・貴州省で学政(省級における教育部門の長)となった。1900年代に入ると、甘粛省で寧夏知府、巡警道を歴任。
1912年(民国元年)3月、初代甘粛都督に任命され、民政長を兼任。民国3年(1914年)3月、参政院参政として北京に異動し、約法会議議員にもなった。
1917年(民国6年)12月30日、死去。
参考文献
- 徐友春主編 『民国人物大辞典 増訂版』 河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編 『民国職官年表』 中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
|
|---|
固有名詞の分類
- 趙惟煕のページへのリンク