赤川飛行場
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赤川飛行場(あかがわひこうじょう)とは、北海道函館市(当時は亀田村)で建設中だった大日本帝国陸軍の飛行場である。函館飛行場ともいう。
概要
第二次世界大戦の終戦直前、1945年(昭和20年)4月ごろから現在の函館市立亀田中学校付近で建設中だった軍用飛行場である[1]。規模は長さ約1,900メートル、幅約260メートルで面績は約15万3,700坪[1]。未完成のまま終戦を迎えたので日本の航空機の発着はなかったが、終戦直後に2回米軍機が発着した[1]。
砂利などの建設資材の搬入に未成線の戸井線が使われた(トロッコによる)[2]。
脚注
参考文献
- 函館市史編さん室編 『函館市史 別巻 亀田市編』 函館市 1978年
- 『函館商工会議所報ともえ』 No.296 函館商工会議所 2007年
関連項目
- 赤川飛行場のページへのリンク