赤井手古墳
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赤井手古墳 | |
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所在地 | 福岡県春日市弥生7丁目67番地ほか |
位置 | 北緯33度32分5.85秒 東経130度26分54.47秒 / 北緯33.5349583度 東経130.4484639度座標: 北緯33度32分5.85秒 東経130度26分54.47秒 / 北緯33.5349583度 東経130.4484639度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径30m 高さ3-5m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 銅鏡・銅釧・玉類・武器・農工具・須恵器 |
築造時期 | 6世紀初頭 |
史跡 | 春日市指定史跡「赤井手古墳」 |
有形文化財 | 出土須恵器(春日市指定文化財) |
地図 |
赤井手古墳(あかいでこふん)は、福岡県春日市弥生にある古墳。形状は円墳。春日市指定史跡に指定され、出土須恵器は春日市指定有形文化財に指定されている。
概要
福岡平野南部、那珂川東岸の春日丘陵上に築造された古墳である。1976-1979年(昭和51-54年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径約30メートル・高さ3-5メートルを測る[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南西方向に開口した(現在は埋め戻し)。石室全長4メートルを測る小型石室であるが、石室内の調査では副葬品として銅鏡3面のほか銅釧・玉類・武器・農工具・須恵器など多数が出土している。築造時期は古墳時代後期の6世紀初頭[2][3](または5世紀後半[4])頃と推定される。
古墳域は1993年(平成5年)に春日市指定史跡に指定され、出土須恵器は2025年(令和7年)に春日市指定有形文化財に指定されている。現在では石室は埋め戻されたうえで保存されている。
遺跡歴
- 1976-1979年(昭和51-54年)、土地区画整理事業に伴う発掘調査(春日市教育委員会、1980年に報告)[4]。
- 1993年(平成5年)3月1日、春日市指定史跡に指定[2]。
- 2025年(令和7年)3月25日、出土須恵器が春日市指定有形文化財に指定[3]。
埋葬施設
埋葬施設は横穴式石室で、南西方向に開口した(現在は埋め戻し)[4]。石室の規模は次の通り[4]。
- 石室全長:約4メートル
- 玄室:長さ3.2メートル、奥壁幅2.0メートル、横口幅1.76メートル、高さ1.6-2.0メートル
- 羨道:西側壁0.3メートル・東側壁0.5メートル分のみ残存
玄室内には屍床が構築されており、幅0.85メートルを測る[4]。
出土品
石室から出土した副葬品は次の通り[4]。
- 銅鏡 3
- 銅釧 3
- 勾玉 1
- 管玉 9
- 丸玉(小玉) 32
- 鉄鉾 1
- 鉄刀 1
- 鉄刀子 1
- 鉄鏃 87
- 鉇 2
- 石突 1
- 鉄斧 2
- 鉄鋤先 1
- 砥石 1
- 須恵器 12 - 大型器台、子持壺など。他地域からの搬入品とされる[3]。
文化財
春日市指定文化財
関連施設
- 春日市奴国の丘歴史資料館(春日市岡本) - 赤井手古墳の出土品を保管。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(春日市教育委員会、1995年設置)
- 折尾学「赤井手古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『赤井手遺跡』春日市教育委員会〈春日市文化財調査報告書第6集〉、1980年。
- 『春日市史』 上巻、春日市、1995年。
- 『春日市史』 平成編、春日市、2022年。
外部リンク
- 赤井手古墳、赤井手古墳出土須恵器 - 春日市ホームページ
- 赤井手古墳のページへのリンク