豊田城 (大和国)とは? わかりやすく解説

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豊田城 (大和国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 09:21 UTC 版)

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豊田城
奈良県
別名 豊田山城
城郭構造 山城
築城主 豊田氏
築城年 不明
主な城主 豊田氏、松永氏
廃城年 不明
遺構 空堀、土塁
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度36分27.2秒 東経135度51分14.6秒 / 北緯34.607556度 東経135.854056度 / 34.607556; 135.854056
地図
豊田城
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豊田城(とよだじょう)は、奈良県天理市にあった中世日本の城山城)。

概要

天理市の現・天理教迎賓館の裏山に城跡が位置する。室町時代に付近に勢力を張った興福寺大乗院方の衆徒・豊田氏が居城とした。奈良県の城としては空堀が最も発達しており、二つの郭群を複雑な横堀が囲むほか、尾根の奥にも横堀がある。

室町時代中期に豊田頼英が台頭、明応年間まで豊田氏は越智氏古市氏に属していたが敗れて没落し、筒井氏に属するようになった。永禄11年10月15日1568年11月14日)に松永久秀に攻められ落城し、その後は松永方の支城となった。

参考文献

関連項目




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