豊岡圭資とは? わかりやすく解説

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豊岡圭資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 03:32 UTC 版)

豊岡圭資

豊岡 圭資(とよおか きよすけ、旧字体豐岡 圭次󠄁1880年明治13年〉2月16日[1] - 1939年昭和14年〉3月22日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。旧名・道雄[1][3]

経歴

京都で殿掌・豊岡健資の四男として生まれ、父の死去に伴い、1892年(明治25年)4月21日、子爵を襲爵した[1][4][5]1900年(明治33年)2月、圭資と改名した[3][4]

1911年(明治44年)東京帝国大学文科大学東洋史学科を卒業[2][4]。同年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]研究会に所属して活動し[2]、死去するまで4期在任した[2][8]。また、1914年(大正3年)には大喪使祭官を務めた[2]

栄典

親族

  • 妻 スヘ(日野沢依二女)[1]
  • 長男 豊岡烈資(子爵)[1]
  • 二男 外山英資(子爵、兄外山光庸養子)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』203頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』49頁。
  3. ^ a b 『華族畫報 下』1065頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第11版 下』ト85頁。
  5. ^ 『官報』第2642号、明治25年4月22日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、19頁。
  7. ^ 『官報』第8427号、明治44年7月25日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  9. ^ 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
豊岡健資
子爵
豊岡家第2代
1892年 - 1939年
次代
豊岡烈資



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