諸橋久太郎とは? わかりやすく解説

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諸橋久太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 02:43 UTC 版)

3代 諸橋久太郎

3代 諸橋 久太郎(もろはし きゅうたろう、1893年明治26年)5月3日[1] - 1973年昭和48年)2月12日[2][3])は、昭和時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員。福島県平市長。旧名・守次[4]

経歴

福島県磐前郡平町(石城郡平町、平市を経て現いわき市)の金物商[3]、釜屋商店の2代諸橋久太郎[5]の嗣子[注 1]として生まれる[6]1916年大正5年)早稲田大学政治経済科を卒業[2]。1930年(昭和5年)3代久太郎を襲名した[4]1931年(昭和6年)石城郡農会長に就任したのを皮切りに、平市農会長、信用組合平庶民金庫理事長、諸橋合名会社代表、磐城水産工業、片倉磐城製糸、植田水力電気、福島県農工銀行、相馬塩業などの重役を歴任した[2]。ほか、保護観察所保護司職務嘱託となった[2]。1942年(昭和17年)2月、大政翼賛会福島県支部顧問に就任した[4]

1939年(昭和14年)福島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[7]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。のち1951年(昭和26年)平市長となり、3期12年つとめた[3]

1973年2月12日、気管支喘息のため、いわき市の福島労災病院にて死去[8]

親族

  • 弟:諸橋元三郎(三猿文庫開設者)[3]

脚注

注釈

  1. ^ 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福島27頁では二男。

出典

  1. ^ 『大衆人事録 第23版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1963年、p.693。
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 217頁.
  3. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1926頁.
  4. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福島27頁。
  5. ^ 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年、493頁。
  6. ^ 磐城新聞編集部 1928, 91頁.
  7. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
  8. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和48年2月13日朝刊、13面、23面

参考文献




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