観音寺 (筑西市)
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観音寺 | |
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観音寺本堂
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所在地 | 茨城県筑西市中舘522-1 |
山号 | 施無畏山 |
院号 | 延命院 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 6世紀後期? |
開山 | 法輪独守? |
中興年 | 大永5年(1525年) |
別称 | 中館観音 |
文化財 | 木造観世音菩薩立像(重要文化財)他 |
公式サイト | 天台宗 施無畏山延命院 觀音寺|茨城県筑西市 延命観音 中館観音 |
歴史
6世紀後期、法輪独守によって開山されたといわれている。法輪独守は中国からの渡来僧と伝えられており、当地に流行っていた疫病を退散させたという[1][2]。
1189年(文治5年)の奥州合戦の際、鎌倉方に従軍した当地の領主・中村朝宗(中村宗村の説もあり)は、当寺で戦勝を祈願して成就した。そして恩賞として陸奥国伊達郡の所領が与えられた。これ以降、朝宗と宗村はそれぞれ「伊達朝宗」「伊達宗村」を名乗ることになり、伊達氏の始祖となった[1]。
その後も伊達氏の庇護を受け、南北朝時代の第7代当主伊達行朝は各伽藍を寄進している。江戸時代の第20代当主(仙台藩第4代藩主)の伊達綱村は、仙台藩の飛地だった常陸国河内郡龍ヶ崎領(現・茨城県龍ケ崎市)より50石を寺領として寄進した[1]。
当寺の境内は、かつての伊佐城があったところで、中村氏や伊達氏の同族の伊佐氏の居城であった。
文化財
- 木造観世音菩薩立像(重要文化財 大正11年4月13日指定)[3]
- 絹本著色八景の図(茨城県指定文化財 昭和37年10月24日指定)[4]
- 螺鈿硯箱(茨城県指定文化財 昭和37年10月24日指定)[5]
- 伊佐城阯(茨城県指定史跡 昭和10年11月26日指定)[6]
- 観音寺本堂(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[7]
- 大機院殿筆画(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[8]
- 木造阿弥陀如来坐像(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[9]
- 伊達左近中将吉村公筆軸一対(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[10]
- 吉村公筆和歌(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[11]
- 伊達行朝廟(筑西市指定史跡 昭和51年6月28日指定)[12]
- 下館藩主石川総管の墓(筑西市指定史跡 昭和52年3月24日指定)[13]
- 観音寺大欅(筑西市指定天然記念物 昭和52年3月24日指定)[14]
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観音堂[注釈 1]
(筑西市指定文化財)
交通アクセス
- 折本駅より徒歩14分。
脚注
注釈
- ^ 市指定文化財としては「観音寺本堂」
出典
参考文献
- 茨城県地域史研究会 編『茨城県の歴史散歩(歴史散歩8)』山川出版社、2006年
外部リンク
「観音寺 (筑西市)」の例文・使い方・用例・文例
- 観音寺市という市
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