西松喬とは? わかりやすく解説

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西松喬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/26 13:31 UTC 版)

西松 喬(にしまつ たかし、1865年慶応元年) - ?年)は、明治大正昭和前期の経営者実業家綿花を扱う西松商店の創業者。美濃国安八郡大藪町出身。実業家西松龍一の父親。

来歴・人物

18歳のときに京都に出て、慶応義塾・別科に入り、1887年、卒業する。その後洗濯業を開業するも失敗する。その後、苦しんでいるときに中上川彦次郎に出会い、中上川の紹介で第三十三銀行就職、山陽鉄道会計課に就職。1889年、24歳のとき、中上川が山陽鉄道を去るに当たり、同行し、武藤山治和田豊治とともに三井銀行に入る。

  • 1889年 三井銀行記録課長
  • 1893年 同銀行東京本店貸附係
  • 1894年 同銀行青森支店支配人、深川支店支配人
  • 1895年 同銀行東京本店秘書記主任
  • 1896年 三井工業部支配人
  • 1898年 芝浦製作所支配人
  • 1899年 自営業をする志を実現するために、日比谷平左衛門の日比谷商店のもとで、小僧として経験をつむことを志す。同支配人佐久間福太郎に相談するが、三井の支配人という地位のため断られる。数ヵ月後、支配人の職を辞め、小僧の風采をなし、再度佐久間のもとを訪れる。その決心の強さを見た佐久間は、西松を日比谷平左衛門に推薦し、西松は、日比谷商店横浜支店で働き始めた。
  • 1900年 日比谷商店関西支店とも言うべき、神戸の北川商店が大損害を受け、その対処を担当する。
  • 1901年 中上川彦次郎死去。北川商店を閉じて、西松商店を開き、綿花仲次業を始める。
  • 1906年 綿花直輸入業を始める。
  • 1922年中央毛糸紡績(株)取締役就任

慶応義塾草創期の功労者である[1]

著書

『三井銀行案内』1895年。

脚注

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  1. ^ 慶応義塾百年史

参考文献

  • 『岩井百年史』- 岩井産業(株)
  • 『慶應義塾百年史』 - 義塾として特にその労を感謝した人々の一人に挙げられている。
  • 『慶応義塾出身名流列伝』
  • 『福沢諭吉全集』- 第18巻 明治26年11月9日 西松喬宛の書簡



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