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西村忠義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 01:12 UTC 版)

西村忠義
にしむら ただよし
生年月日 1857年1月8日
出生地 日本 伯耆国会見郡境村
(現・鳥取県境港市
没年月日 (1925-04-22) 1925年4月22日(68歳没)

在任期間 1893年12月12日 - 1898年12月12日

境町会議員
当選回数 4回
在任期間 1889年 - ?[注釈 1]
1898年 - ?[注釈 2]
1900年 - ?[注釈 3]
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西村 忠義(にしむら ただよし、1857年1月8日安政3年12月13日[1]〉 - 1925年大正14年〉4月22日[1])は、日本政治家鳥取県西伯郡境町[2](2代)[1][3]。境町会議員

経歴

伯耆国会見郡境村(現・鳥取県境港市)出身。1889年明治22年)に境町会議員に当選した[4]1890年(明治23年)1月に同町助役となった[5]1892年(明治25年)、同町会議員に再選した[4][注釈 1]1893年(明治26年)12月に同町助役を退任した[5]。同月12日から1898年(明治31年)12月12日まで、同町長をつとめる[6]。町長を辞めたあとは台湾に渡り、木村久太郎の下で金山監督をつとめる[1]。同年、同町会議員に返り咲いた[4][注釈 2]1900年(明治33年)、同町会議員にまた返り咲いた[4][注釈 3]

町長として

お台場に灯台を設置したり港口浚渫工事を行う[1]1896年(明治29年)に外国貿易港の指定に漕ぎ着ける[1]1897年(明治30年)に県から505円5銭でお台場の払い下げを受け、公園に造成して町民の憩いの場とする[1]

脚注

注釈

  1. ^ a b 時期不明ながら2期目の途中で辞職している[4]
  2. ^ a b 時期不明ながら3期目の途中で辞職している[4]
  3. ^ a b 時期不明ながら4期目の途中で辞職している[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g 『境港市史 上』531頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年3月4日閲覧。
  2. ^ 『職員録 明治28年1月現在乙』鳥取県244頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年4月17日閲覧。
  3. ^ 『市町村治績録』鳥取県25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年3月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 境港市三十五周年史 25コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 境港市三十五周年史 24コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 『境港誌』27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年3月4日閲覧。

参考文献

  • 『職員録 明治28年1月現在乙』印刷局、1895年。
  • 柴田文次郎『境港誌』村尾日進堂、1914年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録』日本自治協会、1929年。
  • 『境港市史 上』境港市、1986年。
  • 『境港市三十五周年史』境港市、1991年。

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