藤林普山とは? わかりやすく解説

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藤林普山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 09:46 UTC 版)

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藤林 普山(ふじばやし ふざん、天明元年1月16日1781年2月8日) - 天保7年1月14日1836年3月1日))は、江戸時代後期の蘭学者、医師である。医書の翻訳で知られる。

山城国綴喜郡水取村(現京都府京田辺市)に生まれる[1]。通称は泰介など、普山は号である。京都の蘭方医、中川修亭、稲村三伯(海上随鴎)らと付き合う。翻訳にすぐれ、文法書、辞書を作成し、医書の翻訳を行い、蘭学の普及に貢献した。著書に『訳鍵』(1810年)『和蘭語法解』『遠西度量考』や『西医方選』(1828年)、『西医今日方』(1848年)や、ステフェン・ブランカールトの『オランダ植物書』の抄訳、『武蘭加児都本草』などがある[2]。『訳鍵』は稲村三伯らの『ハルマ和解』の収録語6万余から3万余語を選んだ簡約版で、広く利用された。

参考文献

  1. ^ 京田辺大百科編集委員会 『京田辺大百科 歴史・風物篇』、京都府京田辺市: 京田辺市観光協会、2006年8月1日。 
  2. ^ 『本草学と洋学』 遠藤正治(著)思文閣出版(2003年)



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