藤原賀祜麿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 15:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 賀祜麿(ふじわら の かこまろ)は、平安時代初期の貴族。名は加祐麿とも記される。藤原北家、従四位上・藤原雄依の子。官位は従五位下・大宰少弐。
経歴
嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年)薬子の変終結後に従五位下に叙爵。翌弘仁2年(811年)2月に右京亮に任ぜられるが、5月になって武蔵介に任ぜられ地方官に転じる。のち武蔵介の官職に就いたまま、中務少輔・侍従といった京官を兼帯している。その後、時期は明らかでないが大宰少弐を務めた。
官歴
脚注のないものは『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁元年(810年) 11月22日:従五位下
- 弘仁2年(811年) 2月13日:右京亮。5月14日:武蔵介
- 弘仁5年(814年) 7月10日:兼中務少輔
- 弘仁6年(815年) 3月13日:兼侍従
- 時期不詳:大宰少弐[1]
脚注
出典
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