蕭皇后 (遼天祚帝)とは? わかりやすく解説

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蕭皇后 (遼天祚帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 01:48 UTC 版)

蕭皇后
の皇后
在位 1101年 - 1122年

死去 保大2年(1122年
配偶者 天祚帝
兄弟 蕭奉先、蕭嗣先
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蕭皇后(しょうこうごう、生没年不詳)は、天祚帝(耶律延禧)の皇后。小字は奪里懶。

経歴

宰相蕭継先の玄孫娘にあたる。太安3年(1087年)、皇太孫の耶律延禧のもとにとついだ。太安4年(1088年)、燕国王妃に封じられた。乾統1101年 - 1110年)初年、皇后に立てられた。兄弟の蕭奉先や蕭嗣先らは外戚として重用された。

妹の蕭元妃(小字は貴哥)も姉同様にとついで、梁王耶律雅里・秦王耶律定・許王耶律寧らをもうけた。

保大2年(1122年)、遼がの攻撃を受けると、天祚帝や蕭奉先・蕭嗣先兄弟とともに西の山西雲中の陰山に逃亡し、まもなく病没した。翌保大3年(1123年)、天祚帝の寵愛を失った蕭奉先・蕭嗣先兄弟は、その子の蕭昂・蕭昱(天祚帝の女婿)とともに誅殺された。

伝記資料

  • 遼史』巻71 列伝第1



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