蕭瓛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蕭瓛の意味・解説 

蕭瓛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 03:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています詳細

蕭 瓛(しょう けん、569年 - 589年)は、後梁の明帝蕭巋の三男。は欽文。

経歴

後梁の荊州刺史となり、有能で知られた。587年開皇7年)、の崔弘度が後梁を屈服させるべく兵を率いて鄀州に到達すると、蕭瓛はなすすべもなく叔父の蕭巌とともに南朝陳に亡命した。南朝陳により侍中・安東将軍・呉州刺史に任じられた。589年(開皇9年)、陳が隋に滅ぼされると、蕭瓛は呉州の人々に推されて主となった。南朝梁の末裔として江南の人々の信望をえて、梁の再興に期待する人々がかれのもとに集まった。隋の褒国公宇文述が兵を率いて蕭瓛を討つべくやってくると、蕭瓛は王哀に呉州を守らせ、自身は兵を率いて宇文述にあたった。宇文述が兵を分けて別道から呉州を襲撃させると、王哀は道士の服を着て城を捨てて逃亡した。蕭瓛の兵がこのことを知ると、士気は著しく落ちて、宇文述と一戦して敗れた。蕭瓛は側近数人とともに太湖に逃れ、民家に隠れたが、人に捕らえられて宇文述のもとに送られ、長安で斬られた。享年は21。

伝記資料

  • 隋書』巻79 列伝第44
  • 北史』巻93 列伝第81



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  蕭瓛のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蕭瓛」の関連用語

蕭瓛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蕭瓛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蕭瓛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS