蒲生仙とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蒲生仙の意味・解説 

蒲生仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 22:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
蒲生仙

蒲生 仙(がもう せん、1856年安政2年12月) - 1908年明治41年)3月10日[1])は、日本の衆議院議員自由党立憲革新党立憲改進党進歩党)。官僚

経歴

薩摩国鹿児島郡荒田村(現在の鹿児島県鹿児島市)出身[2]1876年(明治9年)、司法省法学校に入り法律と経済を学んだ[2]。参事院議官補となり、1885年(明治18年)に伊藤博文に派遣された際に随行員を務めた[2]。その後、法制局参事官に転じた[2]

1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4期務めた。

その後、拓殖務省参事官、同北部局長、内務省北海道局長を務めた[1][3]憲政本党常議員を務めた後[3]島津家経営の山ヶ野金山館長に就任した[1]

脚注

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  • 『日本現今人名辞典 第3版』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 木戸照陽『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蒲生仙」の関連用語

蒲生仙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蒲生仙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蒲生仙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS