菊池宣次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/15 09:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動菊池 宣次(きくち せんじ、1921年2月9日[1] - 2001年7月17日)は、群馬県出身の元競輪選手。
日本競輪選手養成所(旧日本競輪学校)が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は268[1]。
来歴
1949年に川崎競輪場で行われた、第2回全国争覇競輪・乙規格部門で決勝進出(9着)[2][3]。
1952年9月から1957年3月まで、日本競輪選手会の初代理事長を歴任した[4](なお、日本競輪選手会ホームページでは、2代目とされる横田隆雄が初代理事長とされている[5])。
2001年7月17日、交通事故のため千葉県鴨川市の病院で死去。80歳没[6]。
脚注
- ^ a b c 競輪三十年史、資料p.165 - 日本自転車振興会、1978年11月20日発行
- ^ “2018年版競輪年間記録集(33〜34頁) (PDF)”. KEIRIN.JP. 2019年9月15日閲覧。
- ^ GP・GI・GII・ガールズケイリン特別レース等決勝戦結果レポート
- ^ 社団法人 日本競輪選手会 あゆみ50周年 146ページ
- ^ “歴代理事長一覧 (PDF)”. 日本競輪選手会. 2019年9月15日閲覧。
- ^ 菊池宣次氏死去/元日本競輪選手会理事長 四国新聞社 2001/07/19 16:45
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