菊池宣次
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菊池 宣次(きくち せんじ、1921年〈大正10年〉2月9日[1][2] - 2001年〈平成13年〉7月17日)は、群馬県出身の元競輪選手。
日本競輪選手養成所(旧日本競輪学校)が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は268[2]。
来歴
1949年(昭和24年)に川崎競輪場で行われた、第2回全国争覇競輪・乙規格部門で決勝進出(9着)[3][4]。
1950年(昭和25年)登録選手全国代表者会議議長、1951年(昭和26年)日本プロフェッショナルサイクリスト連合会理事長就任[1]。
1952年(昭和27年)9月から1957年(昭和32年)3月まで、日本競輪選手会の初代理事長を務めた[5](なお、日本競輪選手会ホームページでは、2代目とされる横田隆雄が初代理事長とされている[6])。
2001年(平成13年)7月17日、交通事故のため千葉県鴨川市の病院で死去。80歳没[7]。
脚注
- ^ a b c 栗原新水『躍進群馬県誌』躍進群馬信交会、1955年10月21日、948頁。doi:10.11501/3023072。(
要登録)
- ^ a b c 競輪三十年史、資料p.165 - 日本自転車振興会、1978年11月20日発行
- ^ “2018年版競輪年間記録集(33〜34頁)” (PDF). KEIRIN.JP. 2019年9月15日閲覧。
- ^ GP・GI・GII・ガールズケイリン特別レース等決勝戦結果レポート
- ^ 社団法人 日本競輪選手会 あゆみ50周年 146ページ
- ^ “歴代理事長一覧” (PDF). 日本競輪選手会. 2019年9月15日閲覧。
- ^ 菊池宣次氏死去/元日本競輪選手会理事長 四国新聞社 2001/07/19 16:45
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