菊地慶一とは? わかりやすく解説

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菊地慶一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 02:11 UTC 版)

菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月15日[1][2])は、北海道旭川市出身の著作家

来歴

1945年、13歳のときに釧路空襲を体験する[3]。網走管内で小学校、高等学校教師を務めた後、著作家に転身した[4][3]

網走に1969年から住み[5]流氷の観察を続ける流氷観測の第一人者であり[6]、また1973年に、流氷出版物として最初とされた『白いオホーツク―流氷の海の記録』を刊行する[5]。以来、流氷をテーマに書籍に著す[4]。さらに、網走歴史の会代表として、網走刑務所オホーツク文化捕鯨など調査、研究に努め[4]、著作にもなる。

また、空襲関係の著書に「紅の海ー網走空襲犠牲者の記録」「ハマナスのかげでー北海道空襲の記録」「網走空襲の記録」がある[3]

ほか、児童文学、流氷地方史などの著書がある[3]。網走市文化賞、網走新聞文化賞、林白言文学賞、北海道新聞文化賞などを受賞した[4]。小学校の国語教科書に『流氷の世界』が掲載されている[5][6]

日本児童文学者協会会員で、網走歴史の会代表である[5]

2024年12月に札幌市内の自宅で倒れて、入院[1]。翌2025年1月15日に、敗血症により満92歳で死去した[1]

著作

  • 『白いオホーツク』、創映出版、1973
  • 『ニッポン聞き書き選書1 街にクジラがいた風景 オホーツクの捕鯨文化と庶民のくらし』、寿郎社、2004
  • 『北海道空襲』北海道新聞社 1995

その他多数

脚注

  1. ^ a b c 「「北海道空襲」著者 菊地慶一さん死去 92歳」『北海道新聞北海道新聞社、2025年4月11日、小樽朝刊、26面。
  2. ^ 菊地慶一さん死去…北海道空襲に関する書籍や知床の開拓史など作品多数”. 読売新聞オンライン (2025年4月12日). 2025年4月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 菊地慶一2013.2.23 企画・制作 網走歴史の会(網走歴史の会web:オホーツク文化を発信し合う会web内) 2013-4-14閲覧
  4. ^ a b c d 菊地慶一プロフィール(網走語り部の館)『infoあばしり』 一般社団法人網走市観光協会 2013-4-14閲覧
  5. ^ a b c d "寄稿 「氷海の民話を伝えたい」" ポータルサイト『北海道人』web 特集・連載バックナンバー 特集・流氷の海へ 2005年1月 第21号 文・菊地慶一 2013-4-14閲覧
  6. ^ a b 気象の本棚 オホーツク海より南の海では流氷は生まれない。『流氷 白いオホーツクからの伝言』菊地慶一・著2005年1月19日更新 『気象人』web (株式会社ウェザーマップ) 文:気象予報士・森川達夫 2013-4-14閲覧

関連項目

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