芥川の死と文士村の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:43 UTC 版)
「田端文士村」の記事における「芥川の死と文士村の終焉」の解説
1927年(昭和2年)7月24日、田端の街に衝撃が走った。芥川龍之介が自殺したのである。享年35であった。室生犀星は心の整理がつかず、追悼文を誌上に発表したのは死後半年たってからである。 室生は1928年(昭和3年)に田端の地を離れ、荏原郡馬込の地に引っ越した(馬込文士村)。これにより田端文士村の最盛期は過ぎたものという見方もできる。 その後、田河水泡や高田浪吉らも住んだが、かつてのような交流は見られなかった。 さらに1945年(昭和20年)に第二次世界大戦による空襲で田端は大きな被害を受けた。これにより、多くの文士は田端の地を離れた。街の景観も変わり、田端文士村という特筆すべき交流はこの時に終わったものといわれている。
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