船塚古墳 (宮崎市)とは? わかりやすく解説

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船塚古墳 (宮崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 05:53 UTC 版)

船塚古墳
所在地 宮崎県宮崎市神宮2丁目[1]
位置 北緯31度56分20秒 東経131度25分24秒 / 北緯31.93889度 東経131.42333度 / 31.93889; 131.42333座標: 北緯31度56分20秒 東経131度25分24秒 / 北緯31.93889度 東経131.42333度 / 31.93889; 131.42333
形状 前方後円墳
規模 墳丘長76.8m(推定復元)
高さ16.42m(前方部)
埋葬施設 不明
築造時期 古墳時代中期~後期初頭
陵墓 宮崎県指定史跡「船塚古墳」
地図
船塚
古墳
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船塚古墳(ふなつかこふん)は、宮崎県宮崎市にある前方後円墳下北方古墳群を構成する1基として1977年昭和52年)4月1日宮崎県史跡に指定された。

概要

隣接する宮崎神宮

大淀川によって形成された沖積地上に位置する。付近が標高9mになっており、一部が宮崎神宮に隣接する。植物が繁茂し墳丘の形状は視認しにくい。

明治期に著された平部嶠南の『日向地誌』には名称の由来、周溝の存在、各部の計測値が記載されている。

正式な発掘調査はなされていないために、出土物による時期特定はされていない。 しかし、その墳丘の形状[2]から古墳時代中期後期から後期前半に築造されたとみられる。

現在は、県総合博物館第2駐車場から宮崎神宮西神苑を結ぶ小径に面する形で解説板が設置されている。

脚注

  1. ^ 宮崎市. “船塚古墳 - 宮崎市” (Japanese). 宮崎市. 2020年1月26日閲覧。
  2. ^ 前方部と後円部の高さの差が40cm程で、ほぼ等しい

参考文献

  • 「船塚古墳について」『宮崎考古』第五号 宮崎考古学会、1979年。
  • 『宮崎大学跡地遺跡発掘調査報告書I 船塚遺跡』P,16 宮崎県教育委員会、1987年。
  • 『宮崎県史 資料編 考古2』P,491~492 宮崎県、1993年。
  • 『宮崎県史叢書 宮崎県前方後円墳集成』 宮崎県、1997年。

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