興東地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 14:37 UTC 版)
1932年(大同元年)3月6日、興安東分省の設置が決定、同月29日に額勒春が分省長に就任、5月1日に分省公署が布西(現在のモリンダワ・ダウール族自治旗尼爾基鎮)に設置される予定であったが治安問題等により黒竜江省城(現在のチチハル市)に暫定公署が設置され政務を開始した。その後交通の要衝であった扎蘭屯(現在のジャラントン市)に公署が設置されることになり、1933年(大同2年)1月12日に設置され、23日より政務開始となった。 1932年(大同元年)12月、黒竜江省より雅魯県、布西県、索倫県が移管された。翌年5月10日には行政区域の再定義が行われている。1933年(大同2年)5月に那文旗が廃止されている。 1934年(康徳元年)12月1日、興安総署の廃止に伴い興安東省に改編、1941年(康徳8年)に喜扎嘎爾旗が興安南省に移管されている。1943年(康徳10年)10月1日、興安総省の設置に伴い興東地区行署に改編された。
※この「興東地区」の解説は、「興安総省」の解説の一部です。
「興東地区」を含む「興安総省」の記事については、「興安総省」の概要を参照ください。
- 興東地区のページへのリンク