興徳寺 (会津若松市)とは? わかりやすく解説

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興徳寺 (会津若松市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 07:58 UTC 版)

興徳寺
所在地 福島県会津若松市栄町2-12
位置 北緯37度29分47.0秒 東経139度55分44.2秒 / 北緯37.496389度 東経139.928944度 / 37.496389; 139.928944座標: 北緯37度29分47.0秒 東経139度55分44.2秒 / 北緯37.496389度 東経139.928944度 / 37.496389; 139.928944
山号 瑞雲山
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 弘安10年(1287年
開山 大円禅師
開基 蘆名盛宗
法人番号 4380005008410
興徳寺
興徳寺 (福島県)
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興徳寺(こうとくじ)は、福島県会津若松市栄町に所在する臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞雲山。

沿革

弘安10年(1287年)、蘆名氏第5代蘆名盛宗が鎌倉より大円禅師を招き開山したと伝えられる。その後、蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が会津支配の仮館をおき、また豊臣秀吉奥州仕置の御座所とした。蒲生氏郷により200石の寺領が与えられ、城下町が整備され寺院が郭外に移された際も、その由緒と格式により唯一郭内に留まる事を許された。

旧暦慶応4年閏4月20日に勃発した会津戦争戊辰戦争)にて、堂宇(堂の建物)をことごとく焼失したため、現在の興徳寺に昔日の面影はない。本堂の再建には、鶴ヶ城の解体時に発生した廃材を再利用している(現在の本堂は1964年昭和39年)にコンクリート造で建立されている)。

現在、寺内には蒲生氏郷の五輪塔(墓)があるが、これは氏郷没後に子の蒲生秀行によって建立されたもので、病のため京都で亡くなった氏郷の遺髪が収められている。また、すぐ脇には氏郷の辞世の歌碑も立っている。




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