聖アンデレの殉教とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 聖アンデレの殉教の意味・解説 

聖アンデレの殉教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 06:32 UTC 版)

『聖アンデレの殉教』
イタリア語: Martirio di sant'Andrea
英語: Martyrdom of Saint Andrew
作者カルロ・ドルチ
製作年1646年
種類板に油彩
寸法122 cm × 99 cm (48 in × 39 in)
所蔵パラティーナ美術館フィレンツェ

聖アンデレの殉教』(せいアンデレのじゅんきょう、: Martirio di sant'Andrea: Martyrdom of Saint Andrew)は、17世紀イタリアバロック期の画家カルロ・ドルチが1646年に板上に油彩で制作した絵画である。画面下部右側に画家の署名と制作年が記されている。作品は現在、フィレンツェパラティーナ美術館に所蔵されている[1][2]。なお、ほかにも2点の別ヴァージョンと何点かの複製が知られている[1][2]

作品

ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』によれば、聖アンデレパトラ磔刑に処せられたが、イエス・キリストらしく見えないように腕が対角線をなすべく十字架に縛りつけられた (釘づけにされたのではない)[1][2]。X字型の十字架は彼のアトリビュート (人物を特定する事物) となっている[3]

ティツィアーノ『赤い帽子を被った男の肖像』 (1516年ごろ)、フリック・コレクションニューヨーク

本作は聖アンデレが十字架に架けられる直前の光景を描いており、聖アンデレは服を脱がされ、処刑人たちは十字架の木を設えている。ドルチは激動の場面を真実の感情を表現する物語に変容させている。それは、聖アンデレ、処刑人、残りの立会人たちの表情に見ることができる[1]。彼らの多くは実人物の肖像である[1][2]。また、登場人物たちの衣服、十字架の木の質感などの細部描写にも注意が払われている[1]

背後の群衆中には、中央で十字架を支える男の両脚の間から見える2人の目立つ人物がいる[1][2]。そのうちの1人は、16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの『赤い帽子を被った男の肖像』 (フリック・コレクションニューヨーク) を忠実になぞったものである。ドルチにとって明らかに馴染みのある肖像画であったと思われるが、その理由はわからない[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h Martyrdom of Saint Andrew”. パラティーナ美術館公式サイト (英語). 2025年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Martyrdom of Saint Andrew”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2025年4月7日閲覧。
  3. ^ 「聖書」と「神話」の象徴図鑑 2011年、145頁。

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  聖アンデレの殉教のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「聖アンデレの殉教」の関連用語

聖アンデレの殉教のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



聖アンデレの殉教のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの聖アンデレの殉教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS