耶律敖盧斡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 耶律敖盧斡の意味・解説 

耶律敖盧斡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/08 06:22 UTC 版)

耶律敖盧斡(やりつ ごうろあつ、生年不詳 - 1122年)は、(契丹)の皇族。晋王。「傲魯斡」とも表記される。

経歴

天祚帝蕭文妃のあいだの長男として生まれた。幼くして騎射を得意とした。乾統初年、大丞相韓徳譲の後を嗣いだ。乾統6年(1106年)、晋王に封じられた。善行を好んだが、人に誇ることがなく、隠れて読書して、長者と称された。

成長すると人望に厚く、内外の期待を集めた。保大元年(1121年)、蕭奉先が「南軍都統耶律余睹が蕭文妃と謀って晋王敖盧斡を帝位につけようと図っている」と誣告したため、余睹はに降伏し、文妃は処刑された。敖盧斡は陰謀に関与していなかったと認められて、許された。保大2年(1122年)1月に、ふたたび蕭奉先が「耶律撒八らが再び晋王敖盧斡の擁立を計画した」として告発された。天祚帝は敖盧斡を処刑するに忍びず、人を派遣して絞め殺させた。ある人が敖盧斡に亡命を勧めたが、敖盧斡は「小さな体を守って、臣子の大節を失うことはできない」と言って従容と死についた。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律敖盧斡」の関連用語

1
96% |||||

2
78% |||||

3
58% |||||

4
54% |||||

5
38% |||||

耶律敖盧斡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律敖盧斡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律敖盧斡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS