結果と会戦の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 06:42 UTC 版)
1380年のクリコヴォの戦いより遥か以前に生じたリトアニア=ルーシ軍による勝利はジョチ・ウルスの権威を失墜させ、東スラヴ人がタタールの軛から解放される始まりとなった。 会戦に勝利するやアルギルダスは13世紀半ば以来タタールが支配したキエフとポジーリャを彼等から奪取し、その結果、 黒海に至る遥か南方に拡大させたのである。ジョチ・ウルスのハンはこれ等の地への襲撃を未だに行い、時には貢税が支払われることがあったが、政治的権力を喪失することとなった。南西ルーシ及び南ルーシを自領に組み込むことでリトアニア大公国は当時のヨーロッパの強国となった。
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